日本の遺産も、ホイアン歴史文化博物館
ホイアン歴史文化博物館はもともとはお寺だった場所を改装して博物館にしたてあげました。
ここでは主にホイアンで発掘された遺産の数々が展示されています。
中には日本でもお馴染みのものもあるので、日本人にとっては縁深いスポットとなるでしょう。
展示数はそれほど多くはありませんので、時間がない方もぱぱっと見ることができます。
ちなみにチケットはとられませんので無料で入場できます。
博物館内
博物館を入って中央にあるのは三つの青銅鐘。
青銅とは中性時代世界で幅広く使われていた銅とすずの合金です。
腐食による劣化が銅と比べて少ないことと、作りやすいことから貨幣や武器などの素材として使われました。
中国から伝わった製法というのが一般的で、ホイアンと中国の歴史関係を表しているものと言えるでしょう。
また、中央奥には寺の名残で仏壇がいまもなお安置されています。
日本人街の不思議
こちらは当時の写真。
場所はチャンフー通りです。
説明書きを見てみると「17世紀にはここチャンフー通りは日本人通りと呼ばれていた」と記載されています。
そこで疑問に思わなくてはならないのが、「あれ?日本人街はチャンフー通りではなくグエンティミンカイ通りなのでは?」というもの。
この答えは正直分かりません。
別記事でも紹介しましたが、日本人街と中国人街は実在したことは間違いないかと思いますが、チャンフー通りとグエンティミンカイ通り、どちらが日本人街でどちらが中国人街だったのかはいまだはっきりと分かっていないのが現状です。
グエンティミンカイ通りから発掘された多くは日本の出土品であることから、定説ではグエンティミンカイ通りが日本人街と言われているだけであり、その真相は定かではありません。
伝説の町と化している日本人街。
真実を考えてみるのもおもしろいかもしれませんね。
日本の出土品
この博物館では日本由来の出土品の展示が多くあります。
展示物はトュボン川近海の海で沈没してしまった朱印船から引き揚げた遺産やホイアンの町から出土された遺産などさまざまです。
中でもすぐに日本の遺産だと分かるものがこちらです。
これは読んで字の通り「寛永通宝」です。
17世紀の江戸で使われていた通貨ですね。
この寛永通宝がホイアンでも交易に使われていたのか、もしくは献上物として持ってきたのかは分かりませんが、もし前者であれば、日本人は予想以上に多くホイアンの地に住んでいたことになるでしょう。
なぜ歴史が不透明なのか
ここにきて首をかしげているかたは歴史通です。
「17世紀と言えば日本は家康の時代。すでに絵巻物や書簡などから当時の歴史背景は大分分かっている。それなのに、なんでホイアンはまったく記録が残っていないのか」
実はこれはホイアンに限ったことではなく、チャンパ王国をはじめ、ベトナム全土に言えることなのです。
答えは簡単。
「日本よりも文字文化が発達していなかった」ことです。
識字率もそうですが、記録を文字にして残すという文化が乏しいベトナムでは、石碑に刻むのが主流でした。
しかし、石碑だと風化してしまったり、壊れたり、掠れてしまったりします。
よって、いまに残っている歴史記録は数少ないのが現状なのです。
むしろホイアンは中国・日本・オランダなど文字文化が発達した国々との交流が盛んだったので、本格的に調査するのであれば、この三カ国の歴史書物を調べた方が遥かに効率がいいでしょう。
<ホイアン歴史文化博物館>
住所:13 Nguyen Hue St.Hoi An
電話番号:0510 3862 945
営業時間:7:00-21:00
(管理人へのご連絡は不要です)











