かつては最大の港町。日本との意外な関係

ホイアンの全盛期は16世紀から17世紀。
19世紀まで港町の繁栄は続きましたが、次第に衰退の一途を辿り、19世紀には港町はダナンに移りました。

チャンパ王国とフエ王朝の移り変わり

ホイアンが港町として栄えたのは16世紀。
これまで中部一帯を支配していたのはチャンパ王国でした。
チャンパ王国はインド・カンボジアから渡越してきた民族により建国された政権と言われており、現在でもヒンドゥー教信者であるチャム族はチャンパ王国の子孫と言い伝えられています。

世界遺産のミーソン遺跡はチャンパ王国の聖域として現在でもチャム族の崇拝の場になっていますし、観光客にとってはチャンパ王国の歴史を辿ることができる貴重な遺産となっています。

そのチャンパ王国ですが、16世紀半ばに勢力を中南部に移しはじめました。
現在で言うビーチリゾート・ニャチャン近辺です。

チャンパ王国が中部を退いたあとは、フエ王朝が政権を確立しました。
中北部フエは現在では「中部最後の王朝」があった場所として世界遺産に指定されていますね。

フエが中部の実権を握ると、当時の国王はホイアンを諸外国との交易の場所に指定しました。
フエ王朝は中国や日本、いくつかのヨーロッパ諸国と積極的に貿易に乗り出していたのです。

ホイアンの全盛期は中国人や日本人が多く住んでいました。
現在でもホイアンに根付いた中国人が華僑として住んでいますし、建築群を見てみても中国建築と日本建築が混在しているのが分かります。
中国は陶磁器や會館、お寺を伝え、日本はホイアンに文化、伝統工芸、建築などを伝えました。

ホイアンの衰退

しかし17世紀後半になると、まず日本との交易が途絶えたのです。
当時日本は江戸幕府。
皆さんがご存知の通り徳川家康征夷大将軍が日本を治めていた時代です。
それまでは数多くの朱印船がホイアンへ向け出向していましたが、外国との国交を閉鎖する鎖国をはじめたのをきっかけに、ホイアンとの貿易も終了しました。
そしてヨーロッパ最大の交易国であったオランダも商館が潰れてしまったため貿易が途絶えました。
最後に中国も、清朝と鄭氏台湾との関係悪化のためホイアンとの交易を一時中断しました。
また、当時中国の陶磁器文化は非常に発達していて、ホイアンの輸出する陶磁器に物足りなさを感じていたのも大きな原因と言われています。
こうしてホイアンは衰退していき、19世紀には完全にダナンに港町が移転したのです。

日本との関係

先に説明したように、ホイアンと日本は交易関係にありました。
ホイアンの町並みを歩いていると、どこか懐かしい、日本の古き良き時代を彷彿することでしょう。
これは決して勘違いではありません。
日本人が伝えた文化や建築方法は現在も色濃く残っていますし、博物館では日本との交易に使われた当時の江戸の通貨も展示されています。

世界遺産内にある日本橋は名実ともにホイアンの象徴です。
ホイアンの人々は日本人に対しては非常に好意的で親近感すら沸いてくることでしょう。
充実した旅行になることは間違いありません。

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